古き良き時代より、重宝され続けてきた
茶文化の精神である「おもてなしの心」。
ビンズ株式会社は、この精神に基づいてお客様が心から和めるひとときを過ごしていただけるよう、日々取り組んでおります。
それは私たちのこだわりであり、お客様への感謝の意を込めた心の交流ともいえます。
そうした「おもてなしの心」は、やがて発想を生み、ひとつのカタチとなりました。それが、「たべる珈琲」です。
ビンズ株式会社のこだわりを商品化した「たべる珈琲」。
この商品がどういった経緯で開発されることになったのか、そもそものきっかけをご紹介いたします。
昭和40年半ば、先代の社長であった上田保夫(現会長)は、新たな販路を模索していました。そんな中、ヒントをつかむために訪れたアメリカで、ある出来事に遭遇します。
それは、長距離を移動するハイウェイ(高速道路)バスのなかでの出来事。 バスが渋滞に巻き込まれ、先代社長は車内に何時間も閉じこめられてしまいました。
ハイウェイ(高速道路)では、一度走り出すと次の休憩所にたどり着くまでは休憩ができません。そこで先代社長は実感するのです、ハイウェイ(高速道路)の不便な一面を。
しかし同時に、ある思いが芽生えます。
「長時間、車に缶詰になるとイライラしてしまう。
そんな時、いつもならば挽きたてのコーヒーの香りと味わいで気持ちを落ち着かせることができるのに、今は一杯のコーヒーさえ飲むことができない。
こんな時、手軽に味わえる
コーヒー味の食べ物があったなら・・・」
その思いが発端となり、商品として誕生したのが、「たべる珈琲」です。
水がなくてもサッと溶け、口の中に挽きたてのコーヒーの香りと味わいが広がる、飴でもラムネでもない錠菓は、まさに斬新の一品。
ところが、その誕生にいたるまでの道程は決してスムーズではなく、多くの課題がありました。
昭和43年に「たべる珈琲」の開発が、パイン製菓株式会社(現パイン株式会社)でスタートしました。
コーヒー錠菓は画期的な商品でしたが、開発当初は高品質を長く保持するのが難しく、変色や味の変化を起こすなどの様々な課題がありました。しかし、昭和40年代といえば、日本でも高速道路が次々と整備されていく時代。「たべる珈琲」は、車で長距離を移動する人にとって眠気覚ましに最適でしたので、これからの車社会には必要とされる錠菓だったのです。
香りと味わいにこだわり、様々な種類のコーヒー豆を取り寄せてはコーヒーを立てる日々。
開発当初からの課題もひとつひとつ乗り越え、お菓子でありながら香り立ちの良い珈琲風味を実現し、さらに水がなくても手軽にお召し上がりいただける錠菓として商品化への道を築いていったのです。
そして昭和44年、一部の高速道路のサービスエリア・パーキングエリアで販売を開始。
ドライバーの安全運転にもつながるよう、「眠気覚ましに!」をキャッチフレーズに販促活動を行ったところ、直後から多くのお客様のご支持を得ることができ、「たべる珈琲」は一気に全国のサービスエリア・パーキングエリアへと、その範囲を広げていきました。
その後、昭和45年、「たべる珈琲」の販売専門会社として、ビンズ株式会社を設立。同時に、販売エリアもパーキングエリア、喫茶店、駅売店など、着実に拡大していきました。
さらに、その勢いは留まらず昭和47年、「たべる珈琲」に続き、ビタミンCでお客様に和めるひとときをご提供する「ビンズレモン」の販売もスタート。
そして、国内・国外の国際見本市へ頻繁に出展し、積極的な営業活動を実施してきました。
今後も売り場拡大を視野に様々な取り組みを実施してまいります。
末永くご愛顧のほどよろしくお願いいたします。